東北地方太平洋沖地震 「JPA同窓会義援金」について

東北地方太平洋沖地震 「JPA同窓会義援金」について

東北関東地方で発生した地震・津波また原発事故に被災されましたJPAOB皆様とご家族に対して、心からお見舞いを申し上げます。一日も早く元の生活に戻られることを祈念しております。

さて、先日緊急で同窓会幹事会を行い被災されたOBの救援・支援をする為「JPA同窓会義援金」を集うことに致しました。一人でも多くのJPAOB皆様のご支援・ご協力をお願い致します。

JPA同窓会会長 3期生 日比野 信也

被災されたOBの方には特に深刻な状況の方がいらっしゃいます。宮城県気仙沼市の2期生先輩は1階印刷機、DTPが海水に浸かり現在操業不能状態に陥っております。また原発近くのOBの方も営業停止状態と聞いております。このような状況からご協力・ご支援を全国OBから集うことと致しました何卒ご理解下さいますようお願い申し上げます。

(事務局:9期生 中村)

■ 「JPA同窓会義援金」振込先 ■

銀行支店名 : 三井住友銀行 小石川支店

口座番号 : 普通口座 3633814

口座名義 : ジエイピーエードウソウカイ ダイヒヨウ モリモト カツオ

尚、事務処理の手続き上、振込人欄に必ず「期生」と「氏名」をご記入ください。

(記入例:1期生 山田太郎 さんの場合は 01 ヤマダ タロウ となります。)

※振込手数料は、ご負担願いますようお願いいたします。

※領収書が必要な方はご連絡頂ければ別途郵送で発行いたします。

■JPAOB義援金の取り決めについてはこちらをクリック

(パスワードはメーリングリストまたはDMをご覧下さい。)

メーリングリストにご参加ください。

多くのOBからの要望により全期合同のメーリングリストを作成いたします。

メンバーは現在322名のOBがいらっしゃいます。

参加したい方はJPAまでメールをお送りください。(担当:中村)

詳しくはOBホームページをご覧ください。(過去のメールも閲覧可能です)

お問い合わせは

学校法人日本プリンティングアカデミー 同窓会事務局

〒112-0002 東京都文京区小石川4-13-2

TEL: 03-3811-2734  e-mail: general@jpa.ac.jp

担当 中村

2期生阿部さんのメーリングリスト3月23日(このメール掲載は阿部さんの許可を得ています)

JPAの皆様

2期生の阿部孝市です。ふかひれの町気仙沼が一瞬の悪夢によって無惨にも破壊されました。当社は中心商店街の一角にあり、幸い火災にはあわなかったものの津波によって1階の事務所・印刷工場・製本室が破壊されました。

3月11日私はいつもと変わらない金曜の当座決裁の確認を事務所で行っていました。地震は小刻みに横に揺れ始め、そのうち立っているのもやっとという程まで揺れ、飲みかけのコーヒーが私の机を汚し始めたのです。1分近くして揺れはおさまり、電気が町中ストップしました。事務所の隣にある製本室は在庫品が散らばり、5年前に増築した印刷工場では折込チラシや伝票の印刷をしている途中でした。

防災無線が6m以上の津波が来るので高台に避難するよう放送があり、社員さんを避難させました。ところが高齢の社員さんが逃げ遅れていたことに気づき、私は会社にその社員さんと留まることにしました。

海から当社までは1kぐらい離れているので、私の中では床上浸水程度の想定しかなかったので、ドアの隙間に印刷物で詰め物をして様子を見守りました。ところが水が流れてきたのは海とは逆の方角から下水のマンホールを押し上げ、押し寄せてきました。そのうち海からの水と合流し一瞬で2mぐらい浸水しました。その間10分ぐらいあったものの、何を持ち出すか。パニックになっていました。その際3階に持っていった荷物は、古い売上帳、決算書、完成したばかりの印刷物とレジにあったお札2万円の4点でした。最近の資料はいっさい流れてしまいました。当座や未払金の支払い用にかき集めた現金はカバンごと流されてしまいました。

今考えれば、他にもっと大事なモノがあったわけです。業務に必要なデータをすべてポータブルHDDに入れておきましたが泥にまみれてがれきから見つけ出しました。たぶん復旧されないでしょう。(私物ではYMOのレアなDVDやクレージーキャッツの映画パンフレット等々・・・。)

2階に避難した私はどうすることもできなく、携帯で外の様子を撮影していました。すると駐車場に止めてあった私の乗用車ティーダが流されていきました。道幅が狭い道路でしたが、スケートでもしているようにゆっくりと車が何台も流されていきました。そのうち店舗のドアが破壊され、書類ケースや机が当社から流れていきました。セコムのアラーム

がやかましく鳴り出し20分くらいして水がひけ、階段を下りると印刷工場のサッシは全部流れていました。今考えるとサッシが両サイド流れていたから水が引け外に出れたのかもしれません。

外はパニックです。車が何台もクラクションがなったまま重なっていたり・・・。不思議なことに私の車が元々にあった場所に返ってきていました。がれきの中からどうやって家に着いたか坂を上がってきたのが必死でした。自宅に着きホットしたものの海の方から爆発音と煙と油の燃える臭いが夕方の気仙沼湾を赤く染めました。その後3日くらい一切外に出られなくなるほどでした。自宅の前に小中学校があり避難所となっていたので、そこから自衛隊の給水車で水をもらい、電気と通信網ののない生活を1週間過ごしました。5分ぐらい歩いて体育館にいき新聞をもらい、30分ぐらい歩いて携帯の充電を15分間だけする毎日でした。しかも電話が使える範囲も一部ですぐバッテリーが切れてしまいます。

会社に伝言板の紙を貼り、社員さん全員の安否を確認するのに1週間かかりました。

しばらくは会社の地域の電気水道は予定がないそうです。

幸い2階のCTP、制作サーバ、制作用PCは無事なのですが、治安が悪く、当社のメインバンクも4千万の強盗があったりと怖い状況にあり、先日一部を片づけた際も社内に誰も入れないように密閉してきたのです。

社員さんの安否も確認し、がれきを撤去した後は次のステップとなります。

1.社員さんの休業補償の手続き

2.11日分の給与の支払い

3.仕掛品の継続制作

4.得意先復興の行方

5.制作拠点を立ち上げる

これから何をしたらよいのか。見当がつかない。

でも・・やるしかない。

阿部印刷復興への第1章のレポートを終わります。

後日写真upします

追伸 私がやっているチンドン屋の楽器は3階においてあったの

で無事でした。

宮城県気仙沼市(有)阿部印刷 阿部孝市

以上

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